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ブダペストの初夏の花 (2)





5月から6月のブダペストの花々。前回の続きです。
今回は2回目、ぜんぶマーガレット島で撮りました。
相変わらず名前が判らない、思い出せないのが殆どです。
名前の判る方は、コメント欄にて教えて下さると助かります。
そのほかの方は、どうぞお気遣いなく。


8) 西洋トチノキ(ホースチェストナッツ)の実
漢字ですと、馬栗ですか。これ食べられないんですよね、中身は普通の栗と似ていますが。
夫はビール、私はアイスコーヒーを飲んでいたカフェの横に生っていました。
マーガレット島です。

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9) 名前がわかりません。

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by mariko789 | 2016-07-09 14:54 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(4)

ブダペストの初夏の花 (1)





5月から6月のブダペストの花々。
主に動物園(兼、植物園)とマーガレット島で撮りました。
相変わらず名前が判らない、思い出せないのが殆どです。
写真が沢山なので、3回に分けます。
コメント欄を開けておきますので、判る方は教えて下さると助かります。
そのほかの方は、どうぞお気遣いなく。



1) スモークツリー
初夏に咲く花木。ヨーロッパから中国に分布、日本にも。その名のとおり遠くからみると煙のよう。
道に迷っている最中に撮りました。迷っても迷っても木々と花。

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2) ラベンダー 
ですよね? 最近とんと記憶力に自信がもてなくなりました。
ブダペストのマルギット島(英:マーガレット島)にて。
島全体が公園か、宮殿の庭のようです。噴水もあり無料の小さな動物園もあり。
いずれ島の様子を撮った写真をどーんとアップします。

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by mariko789 | 2016-07-09 14:23 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(4)

カモメの子




向かいのパブの屋根に、カモメの巣があるのを発見したのは、もう一ヶ月以上も前と思う。
お母さんカモメが、日ごとの風雨にも負けず、懸命に卵を抱えていた。
いつも彼女は一人ぽっちで、夫君らしき姿は見えなかった。
餌はどうしているのだろう。目に見えて痩せ細っていくお母さんをハラハラと見守っていた。

夫君を初めて見たのは、忘れもしない、6月15日、ブダペストへ出発する間際だった。
見れば妻以上に、骨と皮だけの姿。どこでどんな苦労をしていたのやら。
今まで妻子から遠ざかっていた罪は問うまい。
今日から妻子を守ってゆくんだよ。

そしてブダペストから帰ってきて数日後、卵がヒナに孵りました。
こちらは連日、日本の梅雨めいた雨が降ったり止んだり。
気温も低く、15℃から18℃の間くらいかしら。
そんな悪天候のなか、夫婦で仲良く(ときに言い争っているシーンも見かけますが)、子育てをしているのは、実に微笑ましい。

ヒナは二羽です。
いちど、ヒナが他の鳥に狙われて大騒動もありましたが、近隣のカモメもやってきて、敵を追い払ったのでした。
カモメのコミュニティって素晴らしい。

下の写真は、ヒナとお母さん。ニコンのP510で撮影。望遠ぐんぐんで。

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こちらは、ニコンの一眼にタムロンの望遠レンズ(300mm)をつけて、ズームめいっぱい。
ピントはお母さんに当てたので、後のお父さんはやや後背暈けに。

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カモメのヒナ。
この先、顔のポチポチも消えて、飛べるようになるまで、まだまだ親子の奮闘は続くのでしょう。




ところで、EU離脱が決まって以後、英国での移民・難民への、ヘイトクライムが激増しているとか。
私もいうなれば移民。街で石など投げられぬよう、気をつけよう。

今はまだ、イスラム教のラマダンの最中と思いますが、街では、アバヤ(例の黒装束)を着て、
真昼間からカフェで飲食している女性を見かけます。
先日は、スーパーマーケットのレジでお金を払ったとたん、お菓子の袋を破って食べ始めたイスラムの男性がいました。
(ラマダン中は、日没まで飲食をしてはいけない掟です)
英国だからいいようなものの、お郷でそんなことしたら、鞭打ちの刑に処せられるでしょう。
人種の坩堝と化しているリヴァプール、平和であれと願うばかりです。





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by mariko789 | 2016-07-04 00:06 | Sony Cyber-shot G | Trackback | Comments(13)

英国に帰ってきました。





昨日、大手を振って英国に帰ってきました。配偶者ビザ、取れました!
日本人が配偶者ビザを取るのは非常に難しいと聞いていたので、ハラハラしましたが。
ブダペストに滞在中、英国の「EU離脱を問う国民投票」が行われ、なんと離脱が決定。
私と夫は、バンザイ三唱をしました。
これから少しの間、英国は揺れると思いますが、何年かしたら、きっと元の住みやすい国に戻ると思います。

私が下手な文をごちゃごちゃ書くより、とても判りやすく「EU離脱の理由」を書いて下さっている記事があります。

イギリスがEU離脱した理由(←興味のある方はぜひ読んでみて下さい)

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私が今、住んでいるアパートも、英国人は夫しか住んでいません。
あとはナニ人なのやら。隣には1DKに6人くらい住んでいます。それも入れ替わり立ち代り顔が変わる。
真夜中にパーティをしていたり、物音もうるさく、ヘンな匂いも漂ってきます。
私の部屋の以前の住人は、電気代を未払いで越していってしまい、£800(約12万円)もの請求書がきていました。
他にも請求書が数々届きますが、宛先の名前が少なくても5,6人は異なる。2DKに一体、何人住んでいたのやら。
その名前に英国人の名は一つもありません。
リヴァプールの街の中心地のアパートなので家賃は高めなので、複数でシェアするのは判りますが、いくらなんでも多すぎると思う。

もしも、アジアが統合され、日本がアジア連合に含まれたとします、で、貧しいアジアの人々がビザなしで働きに来れるようになったら、と想像してみてください。
小学校の生徒は貧しい外国人で占められ、店の店員はみんな外国人、アパートの住人もみんな外国人、病院に行けば、外国人の行列で、いつ診てもらえるのか判らない(これが、今、リヴァプールで起きています)。
犯罪も増え、危なくて夜、散歩にも行けない(義母宅の近辺がそうでした)。
そういう状況を想像してみてください。
人類みな兄弟、助け合おう精神は立派ですが、その国の先祖が汗水たらして培ってきた、歴史、文化、スピリッツまで破壊されるような統合はどんなものでしょう。
そして、できれば今回の英国のEU離脱を、見守って下さると嬉しいです。
もちろん、世界経済に及ぼした影響は、個人的に申し訳ないと思っていますが。

英国に住むEU人口が減れば、たぶん高騰し続けている不動産も適正な価格に落ちつくでしょう。
そうなれば、うちもより良い部屋を借りたり、気に入った家が見つかれば買うこともできます。
病院も、行列なしで診て貰えるようになれば、親戚のおじさんおばさんもどれほど助かるか。
(義母の葬儀のときにも、移民への苦情が炸裂していました)

帰ってくれば来たらでやらなければならない事項が山積。
一つずつ、こつこつ片付けていこうと思っています。





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by mariko789 | 2016-06-27 16:57 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(18)

釣銭がもらえない @ハンガリー





三年もハンガリーに住み、ずっと奇妙に思っていたこと、時折、レストランやカフェで釣銭がもらえない。
とくに気に入って何度か通った店で、或る日とつぜん釣銭がもらえなかったときなど、軽いショックでした。
3,000フォリントのお勘定に、5,000フォリント札をだして、お釣がこなかったときも。
2,000フォリントもチップだと思われたのかしら。なんなの?

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5月の半ば、とあるカフェで、請求書をもらったら5,000フォリント弱。
夫は、「サンキュー」といいながら、10,000フォリント札をだしました。
すると、ウエイター君が、「お釣はいらないの?」と笑顔で言うのですよ。

「え?お釣は欲しいよ。」と夫が答えると、
「ハンガリーでは、お勘定をはらうときに、サンキューというのは、お釣はいらないという意味なんですよ。」

えーー!?
長年の謎が解けた一瞬でした。
夫は、サンキューを連発するタイプ。
バスから降りるときも、スーパーマーケットでお金を払うときも「サンキュー」
それはいつのまにか私にも伝染していた習慣でした。

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今までお釣が貰えなかったのは、
「サンキュー」=(釣銭はチップですよ)
のハンガリーのならわしを知らなかったためだったのか!

その後は、カフェやレストランでお勘定を払うときは、くれぐれも「サンキュー」を言わないように、
夫に注意はしたのですが、長年の習慣がそんなに簡単に抜けるはずもなく、
なんどかは、お釣が貰えなかったのでした。
念のため、スーパーマーケットなどのお店では、サンキューと言ってもお釣はもらえます。
もらえないのは、カフェとレストラン。


◎ 画像一枚目は、キラーイ温泉の外。二枚目は入り口です。屋内撮影禁止。
  ここは薬効温泉となっていて、治療客らしき人がたくさん来ていました。
  エントランスは古くさいですが、屋内は綺麗です。湯質もかなり優れている感じ。
  観光客らしき姿は見えず、リピートして通いたい温泉でした。
  
  
  




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by mariko789 | 2016-06-10 14:12 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(19)

セーチェーニ温泉 @ブダペスト




日本のテレビ番組でもお馴染みと思いますが、ブダペストは温泉の街です。
ずーっと昔、ブダペストに休暇で来て、温泉に入り、その湯質の良さに感激したものでした。
今回、同じ温泉を探したものの見つからず、有名どころの温泉に行ってみました。
行ったのは5月17日でしたか、曇り空で肌寒い日でした。

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温泉と言っても、水着着用で(欧州はそれが常識)したがって男女混浴です。
上の写真は、屋外。ウイークディで曇りだったにも拘わらず、たくさんの人が来ていました。
右側(中央やや下)に写っている、ぐるぐる巻になっている部分、この外側のぐるぐるに、
ときおりパワフルな渦が湧き、どんどん先へ追いやられます。追いやられつつぐるぐる回るのが面白い。
ところどころジャグジーの吹き出し口もあり、そこへ陣取ったまま、動かないおじさんも。
赤いパラソルのあるところはカフェで、私はスナックとカプチーノを頂きました。
夫はもちろんビール三昧。




屋内には、サウナやミストサウナ、水風呂、ジャグジー、ぬるい温泉、熱い温泉など、
十幾つもの種類の温泉があります。マッサージ室もあり。
下の写真は、屋内の温泉の一つ。湯質はそれほど良いとも思いませんでしたが、温泉には違いなし。

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by mariko789 | 2016-06-04 00:09 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(22)

私は旅人@英国空港イミグレにて





5月22日。英国の空港のイミグレーションを通過するさいの、私と係官の問答です。
係官は、私のパスポートを見て、猫が鼠を見つけたような顔になりました。

問題になったのは、
3月8日 ハンガリーから英国へ入国(家を探すため)
3月16日 英国からハンガリーへ出国(ハンガリーの家の売却)
3月23日 ハンガリーから英国へ入国(家の契約/義母の介護)
4月24日 英国からハンガリーへ出国(英国ILRビザの申請)
5月04日 ハンガリーから英国へ入国(4月24日に逝去した義母の葬儀に出席)
5月11日 英国からハンガリーへ出国(英国ILRビザの申請の続き)
5月22日 ハンガリーから英国へ入国(ILRビザ却下され、とりあえず我家へ)

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3月から5月までに、4回も英国へ入国とは、多すぎると、係官の弁。
もちろん私と夫は、家を探すためとか、義母の介護と、突然の他界で葬儀へ出席とか、弁明したのですが、許してもらえませんでした。

係官: 貴女の家はどこですか?
私 : リヴァプールです。
係官: 答が間違っている!
   貴女は観光客で英国に来ているのですよ。
   観光客というのは、年に一度か二度来て、バッキンガム宮殿を見学したりするのでしょ、
   家族に会ったり、一緒に暮らすのは、観光客ではない!
   
なるほど。
観光客なのに、英国に家を探しにきたり、義母の介護をしたり葬儀に出席したりするのは、違法だったのです。
私はホームレス。夫の英国のアパートにたまたま訪問し、どこかへ観光にでかける。それが正しい答だったのです。
それで本来なら、日本人はビザなしで6ヶ月間滞在できるのですが(今まではずっと貰ってきたのですが)
今回は、一ヶ月のみの滞在を許されました。それも係官のお情けだったようです。

係官: 今回だけは、特別に一ヶ月の滞在を許可します。
    次はナイですよ! (警告のサインWを私のパスポートに記載)


【現在の状況】
前回申請したILRビザ(配偶者ビザの復活)が間違っていたと気づきましたので、
ただいま「配偶者ビザ」の申請の書類を作成しているところです。

結婚して以来、住んだ国とアドレス。これがもう大変でした。国は覚えていてもアドレスまでは。
古いノートや手紙をあたったり、グーグルマップで検索してみたり。

結婚していらいの、一緒に写っている写真。偽装結婚ではないという証拠の一環?
しかし10年前から私は撮る専門になり、一緒に写っている写真は皆無。
結婚式の写真ほか、10枚ほど(昔の)一緒に写っている写真を探し出した。

そうこうしているうちに、ネットでダウンロードした申請用紙が変更され(なぜかそういうタイミングに遭う)、
せっかく書き込んだ試作書類のやりなおし。
やれやれ・・・

過去10年間にどこに住み、どこへ旅行したか。まさか、このブログが、こういうときに役に立つとは。
古い記事を遡り遡り。

過去10年のパスポートのコピー。ほかにも沢山コピーする書類があり、ぜんぶで100枚くらいのコピーです。

私のスポンサーである夫の、この半年間の銀行口座の残金。証明書を銀行から速攻で送ってもらいました。
彼に私を養えるだけの財力がなければ申請できません。この点はなんとかクリアできました。

問題は、今のリヴァプールのアパートが半年契約だということ。
長期的に住める家がないと、まずいんじゃないかしら。落とされるとしたら、ここ。と、私は睨んでいます。

費用も、英国のビザは世界で一番高いと思う。却下されても、払った費用は戻ってきません。
私の英語力のテストもあります。これも有料。
 
しかも取れても、滞在できるのは二年半。
その後、延長を申請し、そのときまた書類も作成しなければならず、費用もかかる。
私は、もういいよ、ビザなんかいらない、英国に住まなくていい、歓迎されてないし。
と言ったのですが、負けず嫌いの夫が、このままでは口惜しいと言ってききません。

で、取れるか取れないか判らないのですが、一応6月15日にハンガリーに飛び、
16日にブダペストにて、ビザ申請のインタビューという手はずを調えました。
インタビューといっても、受付の女性はパートタイムで、書類をポーランドに送るだけです。
どうやら、ハンガリーとかあの一帯の国の書類はポーランドで一括して結論を出すらしい。


もしビザが取れなかったら、英国へはとうぶん戻ってこれないので(パスポートに警告サインあり)
少しの間はハンガリーに居るとしても、その後、どこへ落ち着くか、思案投げ首・・・。







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by mariko789 | 2016-05-28 15:54 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(22)

英国居住ビザ、取得できず。




5月12日に手続きを終えた、私の英国居住ビザの申請の結果が昨日下りました。
「却下」。ということで、私は英国に住めなくなりました。
理由は、最初に配偶者ビザを取得したのが結婚した24年前。
配偶者ビザというのは、英国人を配偶者にもつ人の居住許可で、半年以上英国を離れない限り、無期限です。
その配偶者ビザの復帰を申請したのですが、配偶者ビザは二年以上英国を離れると、復帰が難しいのです。
私の場合、20年以上を夫の仕事で海外で暮らした。それが却下の理由。
夫の仕事の半分は、英国政府関連の仕事でしたので、その点を考慮して貰えるのではと思ったのですが、甘かったようです。

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せっかくリヴァプールに部屋も借り、家具や電化製品も揃えたばかりだったのですが、、。
これから先、いったいどうすればいいのでしょう。
途方に暮れています。
私は日本人ですので、ビザがなくても一年のうち半年は英国に滞在できるのですがあとの半年はどこへ?
夫は現在無職で、所帯を二つに分ける経済力もなく、私と一緒に日本に住むのも絶対にできないと言ってます。

夫は諦めきれないようで、英国に居住できるビザの種類は幾つかある、他の種類のビザで再申請すると言ってます。
しかし、時間は限られている。
家も売ってしまったし、ハンガリーにも住めず。
私のように、長年英国人と結婚していても、英国に住めない人も多いのでしょうね。
今回のビザ申請にかかった費用も、馬鹿にできない嵩でした。
途中で義母の他界もあり、飛行機でハンガリー⇔リヴァプールの行ったり来たり。その日にちも惜しかった。
最初から取得できないと判っていれば、こんな無駄はしなかった。
ああもこうも思うけれど、まず明日のことを考えなければ。
まさか帰国の22日のリヴァプールの空港で、入国を拒否をされるとは思わないけれど。

追記:5月20日
いろいろ調べたのですが、「配偶者ビザの復帰」の申請自体が間違えていた。
復帰は二年以上英国を離れると、できなくなるのでした。
なので新しく「配偶者ビザ」の申請をすべきでした。
それと、ファミリービザというのも、あると発見。
こちらは二年とか五年とか期限付きです。とりあえずそのビザでも良いのでは。
この二つのどちらかで、再申請するかどうか、夫と話し合っています。

◎ 写真は、ブダペストの国立オペラ劇場。
  写真の向かって左側の路地を入ったところにあるアパートに、今、住んでいます。
  家主はイタリア人で、なかなかの好人物です。





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by mariko789 | 2016-05-19 14:27 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(28)

お迎え




義母が亡くなる寸前のこと。
病室には五人兄弟(兄四人と姉一人)が揃って母を見守っていた。
母の意識は混沌としていたのかもしれないが、子どもたちの言葉はすべて認識していた。
彼らの質問には、姉の手を握ることにより、応えていたという。
そんなとき、「あそこにHがいる。Hが来ている」と母が言った。
Hとは、二十五年前に他界した母の夫である。
子どもたちは驚くと同時に、喜びがこみ上げてきたという。
母は、父のもとへ旅立ってゆくのだ。

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じつは、私は似たような話を私自身の亡父から聞いていた。
生前、北海道で大事故に遭い、あわやというその病室で、父はお迎えの人と会ったという。
向こうに花々の咲く美しい景色がひろがり、優しそうな老人が微笑みながら手招きをしていた。
父は、その先が幸せに満ちている気がして、老人のもとへ歩んでいこうとした。
そのとき、此の世へ呼び戻す連れ合い(父の後妻)の声がして、思いとどまり、此の世に帰還した。


私は、人の霊魂は存在すると思う。
しかし、それは想念であり、エネルギーのようなもので、肉体を伴うとは思っていなかった。
生者が、思い出す限り、死者の魂は存在し、誰も思いださなくなったときに、消滅するものだと思っていた。
実際はどうなのか、死んでみないと判らないが、
少なくても、死の世界に一歩踏み込んだときには、死者の姿は肉体を伴って見えるのでは。
死はそれほど怖いものではないような気がしてならない。

生れてくるとき、暗い産道をぎゅうーっと苦しみながら通ってくるように、死ぬときも、苦しみはあるだろう。
けれど、大概の死はお迎えの人に導かれ、光り輝く道を通ってゆくのでは。
生まれでて母親の腕に抱かれるように、死んだときにも大きな暖かい腕が待っていてくれるのではないか。
というより・・・死は別の世界に誕生することなのではないか。

私が死ぬときには、誰が迎えにきてくれるのだろう。
私がいちばん逢いたかった人が来てくれるのだろうか。
私をいちばん愛してくれた人が来てくれるのだろうか。





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by mariko789 | 2016-05-14 14:28 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(17)

義母の他界

4月22日の夜のことです。
義母は腹部の痛みに耐えられず、ドクターを呼びました。
ドクターがドアをノックすると、義母の
「ドアのすぐそばにいるのだけれど、起き上がれない」
という声。
ドクターはポリスに連絡。
ポリスが家のドアを破って、義母を救出し、救急車で病院へ。

翌朝23日、ドクターは次兄に(彼はその救急病院で介護士をしています)、義母の危篤を告げました。
まだ夫は眠っていたのですが(前夜遅くまでパブのハシゴをして深酔い状態)、
次兄の電話に飛び起き、駆けつけました。
長兄はスコットランド、三兄はロンドン、四兄はアイルランド、姉はロンドンの南。
全員が揃うまで、もたないだろうとドクターは言いましたが、夕方五時から六時にかけて、
兄弟全員が病室に来るまで、義母の体調は小康状態だったそうです。
その間、ずっと一人で義母を見守っていた夫は、義母が奇跡的に回復すると信じていました。

私も病院の場所がわかれば、義母に逢いに行けたのです。
夫の携帯電話の番号が判れば訊くこともできたのですが、番号はまだ教えてもらっていませんでした。
家中の書類や請求書を漁って確認したのですが、どこにも夫の携帯電話の番号は書いてなかった。

また、その反面、義母の死に面と向かう勇気がありませんでした。
一人、部屋の中で、泣きながら、義母の無事を祈っていました。
なにしろその翌日、夫とともにブダペストに発つ予定でしたし、
どうすればよいのか、頭も混乱していました。

深夜になって、夫が病院から帰宅し、他の兄弟で交替で看護をする、
みんな私たちは予定通り、ハンガリーに行くべきだと言ってくれたと。

そして24日の朝。後ろ髪を引かれる思いで、夫とともに飛行機に乗りました。
リヴァプールの空港から姉に電話をして様子を訊くと、「かわりない」ということ。
もしかして、回復してくれるのでは・・・と期待が胸をよぎりました。

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義母が亡くなったのは、ちょうど私たちがブダペストの空港に着陸した時でした。
まるで、私たちが無事にブダペストに着くのを確認したかのように。



さきほど、長兄に電話で聞いたところ、お葬式は5月5日になったそうです。
夫の帰国予定が5月4日なので、それまで待ってくれたのでしょう。
私は、明日のインタビューの折に、パスポートを提出してしまうので、帰ることができません。

それとも、ビザを諦めて、夫と一緒に帰って、お葬式に出席しようか。。
けれど、そんな無理をしても、義母は喜んではくれないでしょう。

義母の死を知っていらい、夫は手のつけられない状態になっています。
私の泣き方が少ない、日本人はそんなに薄情なのか、義母が死んだというのに、悲しくないのか。
号泣しろ! それができないなら殺してやる!
首を絞められ、苦しくてもがいてもがいて、死に物狂いで夫に噛み付いたら、やっと手を放してくれました。
普段から飲んでばかりいる人ですが、今は義母の死というエクスキューズもあり。。
これから先、どうなってしまうのか。
夫は、もう生きていても仕方がないから、全財産を飲みつくして死ぬと言っています。
リヴァプールに越してきて、さてこれから親孝行をしようかという、まさにその矢先だったのです。
夫がもぬけの殻になるのも、判らないでもない。

私はただただ茫然としています。
欧米の映画のシーンのように、夫をハグして、慰めなければならないと判ってはいますが、
暴力に訴えてくる夫に、どうしても優しくすることができません。
それに私の日本人の血が、そうすることに恥じらいと躊躇いを感じてしまうのです。
冷たい女だと罵られても。。

私だって、義母を失ってショックですし、とても悲しいのです。
夫と喧嘩をするたびに、いつも私の味方になってくれた義母。
一緒に旅行に行ったり、勉強したり、短期間ですが同居もしていて、良い思い出も沢山あります。

愛する人を失った悲しみはそう簡単には癒えるものではありません。

でも、冷静に考えてみれば、義母はやっと義父と再会できて、病気の苦しみ痛みからも解放され、
軽やかな魂として、自由にどこへでも行けるようになって、ハッピーかもしれません。

夫の哀しみ、喪失感は、きっと時間が解決してくれる。
そう信じましょう。



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by mariko789 | 2016-04-28 04:05 | olympus OM-D E-M5 | Trackback