always over the moon

<   2016年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

義母の他界

4月22日の夜のことです。
義母は腹部の痛みに耐えられず、ドクターを呼びました。
ドクターがドアをノックすると、義母の
「ドアのすぐそばにいるのだけれど、起き上がれない」
という声。
ドクターはポリスに連絡。
ポリスが家のドアを破って、義母を救出し、救急車で病院へ。

翌朝23日、ドクターは次兄に(彼はその救急病院で介護士をしています)、義母の危篤を告げました。
まだ夫は眠っていたのですが(前夜遅くまでパブのハシゴをして深酔い状態)、
次兄の電話に飛び起き、駆けつけました。
長兄はスコットランド、三兄はロンドン、四兄はアイルランド、姉はロンドンの南。
全員が揃うまで、もたないだろうとドクターは言いましたが、夕方五時から六時にかけて、
兄弟全員が病室に来るまで、義母の体調は小康状態だったそうです。
その間、ずっと一人で義母を見守っていた夫は、義母が奇跡的に回復すると信じていました。

私も病院の場所がわかれば、義母に逢いに行けたのです。
夫の携帯電話の番号が判れば訊くこともできたのですが、番号はまだ教えてもらっていませんでした。
家中の書類や請求書を漁って確認したのですが、どこにも夫の携帯電話の番号は書いてなかった。

また、その反面、義母の死に面と向かう勇気がありませんでした。
一人、部屋の中で、泣きながら、義母の無事を祈っていました。
なにしろその翌日、夫とともにブダペストに発つ予定でしたし、
どうすればよいのか、頭も混乱していました。

深夜になって、夫が病院から帰宅し、他の兄弟で交替で看護をする、
みんな私たちは予定通り、ハンガリーに行くべきだと言ってくれたと。

そして24日の朝。後ろ髪を引かれる思いで、夫とともに飛行機に乗りました。
リヴァプールの空港から姉に電話をして様子を訊くと、「かわりない」ということ。
もしかして、回復してくれるのでは・・・と期待が胸をよぎりました。

f0053297_330670.jpg


義母が亡くなったのは、ちょうど私たちがブダペストの空港に着陸した時でした。
まるで、私たちが無事にブダペストに着くのを確認したかのように。



さきほど、長兄に電話で聞いたところ、お葬式は5月5日になったそうです。
夫の帰国予定が5月4日なので、それまで待ってくれたのでしょう。
私は、明日のインタビューの折に、パスポートを提出してしまうので、帰ることができません。

それとも、ビザを諦めて、夫と一緒に帰って、お葬式に出席しようか。。
けれど、そんな無理をしても、義母は喜んではくれないでしょう。

義母の死を知っていらい、夫は手のつけられない状態になっています。
私の泣き方が少ない、日本人はそんなに薄情なのか、義母が死んだというのに、悲しくないのか。
号泣しろ! それができないなら殺してやる!
首を絞められ、苦しくてもがいてもがいて、死に物狂いで夫に噛み付いたら、やっと手を放してくれました。
普段から飲んでばかりいる人ですが、今は義母の死というエクスキューズもあり。。
これから先、どうなってしまうのか。
夫は、もう生きていても仕方がないから、全財産を飲みつくして死ぬと言っています。
リヴァプールに越してきて、さてこれから親孝行をしようかという、まさにその矢先だったのです。
夫がもぬけの殻になるのも、判らないでもない。

私はただただ茫然としています。
欧米の映画のシーンのように、夫をハグして、慰めなければならないと判ってはいますが、
暴力に訴えてくる夫に、どうしても優しくすることができません。
それに私の日本人の血が、そうすることに恥じらいと躊躇いを感じてしまうのです。
冷たい女だと罵られても。。

私だって、義母を失ってショックですし、とても悲しいのです。
夫と喧嘩をするたびに、いつも私の味方になってくれた義母。
一緒に旅行に行ったり、勉強したり、短期間ですが同居もしていて、良い思い出も沢山あります。

愛する人を失った悲しみはそう簡単には癒えるものではありません。

でも、冷静に考えてみれば、義母はやっと義父と再会できて、病気の苦しみ痛みからも解放され、
軽やかな魂として、自由にどこへでも行けるようになって、ハッピーかもしれません。

夫の哀しみ、喪失感は、きっと時間が解決してくれる。
そう信じましょう。



[PR]
by mariko789 | 2016-04-28 04:05 | olympus OM-D E-M5 | Trackback

ブダペストへ逆戻り




リヴァプールへ越してきてもうすぐ一ヶ月。
飛ぶように日々が流れてゆきました。

まだ買い足りないものもあるけれど、やっとお気に入りのスーパーマーケットも見つかって、
姑の家の家事にも慣れてきて、これから次第に落ち着ける。
と、思ったのは束の間でした。

f0053297_1912433.jpg


私の「英国配偶者ビザ」復活のため、ブダペストに帰らざるを得ない状況になりました。
そうと知っていれば、まだハンガリーに家があったころに、手続きを進めたのに。
後の祭でした。

取得にかかる期間は不明ですが、3週間から12週間だそうです。
とりあえず、ブダペストに家具付のアパートを一ヶ月借りました。
24日(水曜日)に発ちます。

こちらでは、NHKワールドという、NHKのニュース番組(英語放送)が入るので、
熊本の大地震のニュースも見ています。
定期的に大地震に襲われる日本。
被災者の皆さまにはかける言葉もありません。
私の不運など、比べようもない。

今日はこれから買物に街へ出ます。
歩いて五分で、リヴァプールの中心地に出る立地の良さ。
それだけは、このアパートの利点でした。
欠点だらけのこのアパートに関しては、いずれ書くチャンスがありましたら、書きます。





[PR]
by mariko789 | 2016-04-18 19:23 | olympus OM-D E-M5 | Trackback | Comments(29)

ほうれん草 :俳句




父逝けどほうれん草を茹でる母  汝火原マリ
(ちちゆけどほうれんそうをゆでるはは)

f0053297_168490.jpg


季語: ほうれん草  【春】 ・植物


◎現代俳句協会インターネット句会3月参加句。6点。五十嵐秀彦氏より嬉しい講評を頂いた上、
 どの先生が選んで下さったのか、G2 3月の特選に。
 褒められたくて詠んでいるわけではない筈なのに、高評価を頂くとすごく嬉しい私。
 そんな自分の小ささが情けなくて、笑ってしまう別の私。
 時間がなくて、精神的にも余裕がなくて、いつまで俳句を続けられるか判らない状況です。





[PR]
by mariko789 | 2016-04-18 16:14 | olympus OM-D E-M5 | Trackback

海胆(うに) :俳句





海胆を採る少女よ塩を吹く髪よ  中原久遠
(うにをとるしょうじょよ しおをふくかみよ)

f0053297_15512171.jpg


季語: 海胆(うに)  【春】 ・動物

※ 松山俳句ポスト365 八十二回め投句 兼題(第142回) 『海胆』 : 人選

◎ 画像は以前「江の島」で撮ったものです。




[PR]
by mariko789 | 2016-04-18 15:53 | Sony Cyber-shot G | Trackback

貝寄風(かいよせ) :俳句





貝寄風の笛に海馬の浮かびくる  中原久遠
(かいよせのふえにかいばのうかびくる)

f0053297_14445755.jpg



Thank you very much!

浮かびくる 幼き頃の 思い出が…    idea-kobo




季語: 貝寄風 (かいよせ)、貝寄  【春】 ・天文

※ 松山俳句ポスト365 八十一回め投句 兼題(第141回) 『貝寄風』 : 人選

◎ 貝寄風=陰暦2月22日の聖霊会前後に吹く風。大阪・四天王寺の舞台に立てる供養の造花を、
      この風で吹き寄せられた貝殻で作ったという。(by 角川季寄せ)

◎ 海馬(かいば)=タツノオトシゴの別称。






[PR]
by mariko789 | 2016-04-08 14:51 | Nikon coolpix P510 | Trackback

しゃぼん玉 :俳句




しゃぼん玉まだ追いかけてゐる途中 
(しゃぼんだま まだおいかけているとちゅう)

f0053297_15212974.jpg


Thank you very much!

夕月に桜散りたる桃源郷  詩楽麿

名も知らず桜の陰に身を潜め 見る人ありや蓮華草かな  詩楽麿

炒る途中 手が離せんが 焦げ付くが…  idea-kobo


◎ 旧仮名で統一して、「追ひかけて」とすると空気が抜けたような感じがするので、あえて「追いかけて」と。
  それなら「いる途中」と現代語にすべきなのでしょうけれど、「ゐる」のほうが好きなので。
  (現代俳句/3月/2点/汝火原マリ)

◎ 写真はプラハで撮ったもの。





[PR]
by mariko789 | 2016-04-05 15:27 | olympus OM-D E-M5 | Trackback

ネットに繋がりました @リヴァプール




引越先のリヴァプールのアパートから、第一報です。
まだ生活必需品は揃っていませんが、じょじょにこちらの暮らしに慣れてきました。
風邪はやっと治りかけ。今回の風邪は咳がひどくてまいりました。
夫の実家のあるこの街には、何度も来ているのですが、住むとなると、また趣が違います。
そして、結婚当初と比べ、この街もずいぶん様変わりしたような。
すっかり観光地になっていて、驚きました。
それと、学生の多いこと。いつのまにか、外国人学生の、学園都市になっていました。

f0053297_0501860.jpg


それでもやはり港町であることには変わりなく、暴走族のようなカモメが朝から晩まで鳴き、飛び交っています。
物価はさほどとは思いませんが、家賃&光熱費の高さには仰天でした。
もしかして、日本より高いかも・・・。

まだ写真を撮りに行く余裕はありません。
いずれ落ち着いたら、カメラをもって散歩などもしてみたい。

ブログも、もう半ば忘却の彼方ではあるものの、プラハの記事も投稿したい。
俳句の投稿も、いくつか、たまっているし。
しかし、時間には限りがある。

まぁ、ぼちぼち復帰します。
お仲間の皆さま、また宜しくお願い致します。
[PR]
by mariko789 | 2016-04-04 00:58 | Canon PowerShot SX50 | Trackback | Comments(26)