聖家族 @シェムリアップ 水上村(3)
2012年 11月 13日
フローティング・ビレッジ(2)@カンボジア,シェムリアップ
の続きです。
とある桟橋で、モーターのついている船から下ろされた。
ここでオプションの、手漕ぎのボートに乗るかどうかの選択を迫られる。
ベトナムのメコン川クルーズでも、同じようなオプションがあり、そこで私は素晴らしい人に出会ったのだ。
料金の二人分US:10ドルを払い、小さな手漕ぎボートに乗り込む。
漕ぎ手はお母さん。そのすぐ後に、女の子の赤ちゃんと、小さな男の子を乗せていた。
すやすや眠っている赤ちゃんの愛らしさ。
お母さんに「写真を撮ってもいいですか?」とポーズで示すと、笑顔でうなずいてくれた。
1) ボートには、一家の世帯道具が積まれていた。衣類とお鍋と食器。
このボートはオプショナル・ツアーを仕切っている共同体からの貸与なのかもしれない。
まさか、夜もここで眠るということはあるまいけれど。
私は、どういうわけかこの家族に一目で惹かれてしまった。
わけもなく鼻の奥がツンとしてきて、涙がこみ上げてくるのだ。
同情や悲しみの涙ではなく、心を洗われる涙。
たくましか 生きる力が みなぎって idea-kobo
泥の河こぎゆく母の背を見つむ
少年の眼に燃ゆる夕焼 流星
2) ボートは湖の中の茂みに入ってゆく。
男の子は、ぬかりなく赤ちゃんの面倒を見ている。
赤ちゃんに蟻がたかると、用心深くそっと蟻を一匹ずつ摘み、湖に捨てる。
お母さんが漕ぐ間、彼は赤ちゃんを看る。彼も働き手の一員なのだ。
大切な赤ちゃんを守りながら、その日の糧を稼ぎ出す母と子。
3) お母さんは時おりボートを停め、指で傍の木や家を指し示し、なんたらかんたらカンボジア語で説明をする。
私は英語で聞きなおすのだが、彼女は明らかに英語を解さないらしいので、日本語で応えることにした。
私の場合、日本語のほうが言葉に表情があるかな、と。
4) カンボジア語の説明に、日本語の応答。
それでもなんとなく通じあったような気がした。
お母さんは、英語なんか喋れなくても堂々としていた。
私にも五分と五分で接してくれた。
一線を画するのでもなく、媚びるのでもなく。
そしてとても静かで落ち着いていて。まるで悟りを開いた人のように。
私はそんな彼女が大好きになった。
5) まったく目を覚まさない赤ちゃん。
じっと見つめているうちに、私はふと亡くなった娘を思い出していた。
肌の色こそ違うけれど、ちょうどこんな寝顔ではなかっただろうか。
どうかどうか無事に成長しますように・・・・。
6) お兄ちゃん。
立派なお母さんの背中を見て育つ君は、やがて優しく頼もしい青年になるに違いない。
お金や物がないことは不自由かもしれないけれど、決して恥ずかしいことではない。
私にだって、明日の生活費を心配した日々もあった。
あまりに大きな不運に見舞われ、もう生きてゆくのが耐えられなくなった日々もあった。
生きてゆくのはつらい。君もいつかそのつらさに泣く日が来るかもしれない。
けれど、楽しいことだってきっとあるのだ。それを感じる心さえあれば。
若いうちにつらい経験を重ねれば、そのあとの困難により強く立ち向かってゆける。
「あの時よりましだ」と言える経験を持つことは、人生の杖になると私は身をもって知っている。
とはいえ、君が大きな悲しみに沈むこともなく楽しく暮らしてゆけるよう、心から願っています。
今年出会った人々の中でいちばん美しかったこの家族を、私は一生忘れないでしょう。
人間の価値は、地位や財産ではない。丸裸になったあとに残る心根こそが、その人の真の価値と思います。
◎もう少し、写真があります。→ 2012年夏 カンボジア トンレ サップ湖 水上集落 まとめ
子供たちも親たちも。
生きるって言うことや、人間同士でふれあうことを
考えさせてくれるね。
日本に生まれて良かったと思う反面、
もっと生きていることに感謝しないとな、と思った。
ぷ、私はいつもそんな感じ。
でもなんとなく通じてる気がするんですよね。
まぁ、全然間違って解釈してた事もありますけど(笑)
相手が英語でも私はよく分からないので、聞き取れた1つ2つの単語から勘で喋ってます。
>人間の価値は、地位や財産ではない。
そうなんですよね。ほんとその通り。
私は発展途上国の普通に暮らしてる人を見て
日本が幸せとか、恵まれているとか、相手がかわいそうだとか思った事がないです。
お金や物がないですけど、幸せそうに生きてますからね。
ただ、お金がないとやりたいことを諦めないといけないことがあるのも確か。
そこは綺麗事だけでは出来ないと思います。
もうアジア旅行は卒業と仰ってましたけど、是非行って欲しい国もあります♪
よい家族ですね!母親の姿勢♪お兄ちゃんの澄んだ目♪
汗で髪を濡らし乍も無心に眠る赤ちゃん♪ 見守る流星さま御夫婦♪
まるで、映画のひとコマ♪ 詩情たっぷりです♪
「若い時の苦労は買ってでもせよ」祖母からよく言われてました♪
物のない時代から、高度成長により段々豊かになった、私達の世代♪
現代の子は、最初が良くて、尻すぼみ??可哀想ですね!(汗・笑
でも、「貧しい事は決して恥ずべきことではない。自分達が観光で落としていくお金を糧にして立派な人に育って欲しい。」というMarikoさんに、人間としての器の大きさを感じました。
ますますMarikoさんが好きになりました。
実は、私はナポリで、おじさん(ボランティアのガイドさん)はイタリア語、私は日本語で、
かなり複雑な話をして完璧に通じた経験あり!(笑)
心と心が通い合えば。。ですよね♪
是非行って欲しいと仰るのは、もしかして、、フィリピンですか!?(私は行ってみたいです!
実は、私もブログを始めて8年半、この家族との出会いが最高の経験でした。
こういう出会いがあるから、旅は止められないのかも。
>現代の子は、最初が良くて、尻すぼみ??可哀想ですね!(汗・笑
本当にそうですよね~。かえって開発途上国の子どものほうが夢をもてるかもしれません。
ひーちゃん!♪
私がくだくだ書いて書ききれなかったことを、一行で書いて下さり、ありがとうございます!(感謝
私は器が大きな、なんて大それた人間じゃないですよ~~
そのまま誤解したまま、ずっと好きでいてくださると嬉しい!♪
マリコさんらしい、流れるようなタッチの言葉の中にもいっぱいの優しさが溢れていました。
特に、「あの時よりはましだと言える経験を持つこと・・・」のくだり。
たしかにそうなんかもしれない・・。マリコさんからは伝わってるよ。私には感じられる。やさし~い目で見てるものね~いろいろ。
本当に出会えてよかった。
ああ、勝手に思っちゃってるね^_^;
今回は、流星さんの、辛い歴史の一端にも触れ、改めて、人となりを見直す記事として拝見しました。
自分自身、厳しい歴史を背負って生きてきたという思いがありましたが、
流星さんのそれには、遙かに及びません。
そういう歴史を持った流星さんだからこそ・・・・
そんな思いで、これまでの流星さんとのかかわりを思い起こしております。
出会った、カンボジアの家族に、自らを重ねられた流星さんの思いに、深い感動を覚えました。
> 「あの時よりましだ」と言える経験を持つことは、人生の杖になると私は身をもって知っている。
心にズシーンと沁みました。
疑うことを知らない純粋な目。
私たち大人には絶対できない表情です。
この少年。いいなぁ~
泥の河。
密林で生活している家族。
別の星のようですが、日本からさほど遠くはないアジアなんですよね。
お兄ちゃんの澄んだ、そして強い眼差しから
背中しか見えないお母さんの生き方が垣間見える気がします。
マリコさんの痛み、哀しみは計り知れないけれど
せめて心を寄せていたい・・と思ってます。
素敵な記事をありがとう^^
ありがとう~~
でもね、一生苦労らしい苦労もせず、不運らしい不運にも遭わず
生きて行けたら、それほどの幸運はないと思う
ナーンさんのこれから先も無事でありますよう、お祈りしています。
これからも宜しくね!♪
私の体験といっても、津波であっという間に家族と家を失った人に比べたら、
小さなものかもしれません。
みんなそれぞれ形は違っても、背負った荷物はあると思います。鎌ちゃんもね!
だからこそ、たとえ小さなことでも楽しみや幸せを大切にしてゆきたいですね♪
長い文を読んで頂き、ありがとうございました!
書き直し、書き足し、一生懸命書きましたが、巧く表現できないもどかしさが残っています。
私の場合、最愛の娘を三歳で亡くしたこと。それも目の前で突然に・・・
それが人生最大の不運。あの悲しみに比べたら、何事も耐えてゆける気がします。
心を寄せてくださり、嬉しいです!!
更新は減らしても長続きさせたいって私もいつも思ってるわ~
なるほど!
行ったことありますが、半日だけ。ビザランでね。
確かにすっごく良い印象があります♪
でも次に住む国からは、いかにせん、遠いかも・・・
弾丸いいな! レポ、楽しみにしています(^_−)−☆
お母さんは自分達の大切な事をシンプルに分かっているのでしょうね。
それが子供たちにちゃんと伝わって・・・当たり前の事のようだけど便利な生活をしていると自分たちの大事なものが見えなくなってしまう。
人間の価値は、地位や財産ではない。丸裸になったあとに残る心根こそが、その人の真の価値と思います>私も同感です。この言葉、とっても好きです。
marikoさんの文章などから時々、静かな悲しさを感じることがありました。
marikoさんは写真と俳句という心の表現方法をお持ちです。
これは素晴らしいことだと思います。そして感動を与えることができるのも・・・(聖家族)悲しみ、暖かさ、感動、最後に強さ、強く生きるです。
一枚目の写真に一票、ありがとうございます。
実はこのとき彼らに見とれていて、ろくに写真を撮ってなかったんです。
でも心に焼き付けたから・・・それで良かった。
>便利な生活をしていると自分たちの大事なものが見えなくなってしまう。
その通りと思います。
物さえ与えれば、という教育も問題だと、とくに今の滞在国で感じています。メイドさん任せではねぇ。
強く生きる!改めて自分に言い聞かせます。
いつも丁寧なコメント、ありがとうございます!(でも無理しないでね~~
やっぱり中東とアジアでは人間が違うのね~
思わず再コメしてしまいました。
再コメ、ありがとうございます♪
うちのアパートでも、子どもを引き連れて歩いているのは、メイドさんばかり。
日本でも昔、「乳母日傘」という言葉がありましたが、なんと可哀相なこと。
実の母に勝る人はいない、愛情が違う、と私は思います。
そちらでも同じなのですね。この件についてはもっと書きたいけれど、なにしろ・・・書けません(苦笑)